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祭礼の歴史

 

 四国・松山 古町地域に伝わる神輿鉢合せの祭礼は、元禄二年(1682年)に神輿を新調し松山藩の城下祭礼として行われた記録が残っています。時の藩主は松平定直(1660~1720)松山に様々な文化を育てた名君です。同九年に定直公の次男・三男が誕生し奥方様が白銀を寄進して、二基の神輿を京の都で作成、その神輿が「四角さん」「八角さん」と呼ばれる「鉢合せ神輿(喧嘩神輿)」です。

 

 江戸時代の祭礼は「味酒神社祭礼図」にあるように千木神輿を先頭に稚児・武者がならび大宮司が馬上で進み、大台曳鉾・笠鉾 数基が繰り出す雅やかな大行列で、神事が主の祭礼から見て楽しむ祭礼に変化したと考えられます。又、江戸時代の全国祭礼番付けにも伊予(愛媛県)で唯一の記載があり、味酒祭礼を「松山祭り八月二十五日」と紹介され娯楽の少ないこの時代、四角さん八角さん神輿鉢合せの味酒祭礼は多くの人々の楽しみだったようです。

 なお、地元・民俗文化学者の話では元禄以前から祭礼はあったはずとのお話でしたが、残念ながら現時点では記録が無く様子はわかりません。

 

 神輿に「さん」づけするのは全国的にも珍しいのですが、これは太守様(藩主)からの拝領神輿であることから「四角さん・八角さん」と「さん」づけし、現在まで連綿と受継がれている四国・松山ならではの「伝統神輿文化」のひとつです。

 

 次回は神輿鉢合せの歴史を大正・昭和初期の画像とともに紹介いたします。

味酒神社祭礼図

近世の松山城下・味酒神社祭礼図

(筑波書店古書目録第93号より転載)

全国祭礼番付

大日本神事見立数望

(柏書房株式会社「番付で見る江戸時代」から転載)

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